人気ブログランキング |

ねこちんの日常

necochin.exblog.jp
ブログトップ

タグ:おばあちゃん ( 22 ) タグの人気記事

8/21火  娘と母と私であやこさんに会いに行った
4日後の8/25土
お昼頃、母からメールが来た

おばあちゃんの容態が急変したと
施設から連絡があったそうだ

痰を吸引してもらい
多分脳梗塞を起こしていて
左半身まひ
これから施設までら行ってくる

え、この前元気だったのに…
とにかく母からの報告メールを待った

こちらが言う事は分かるみたいだけど
おばあちゃんが言ってる事は聞き取れない状態

個室から、職員さんに近い4人部屋に移った
なので、変な時間に行っても会えない
夜に行きたかったけど諦めた
母や妹たちも夜に帰宅した

母が帰宅した直後、
亡くなったと連絡が来たそうだ
享年102歳
あと3ヶ月ちょっとで103歳だったのにね
a0317923_23251888.jpg
おばあちゃん
寂しいけど
あまり苦しまず旅立てて良かった

明日が通夜
会いに行くよ
待っててね…



by tomo-necochin | 2018-08-27 23:10 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
娘の夏休みも終盤になり
昨日、私の母と娘と3人で
あやこさんに会いにいった


所沢の施設に到着すると
ホールにみんな集まり
丁度お昼ごはんが終わった所だった

あやこさんの部屋に向かおうとすると
ホールに出てるベッドに見慣れた顔が…

あぁ、おばあちゃん
ここに居たんだ‼︎
てっきり部屋にご飯が運ばれるのかと思った

1人で食べるんじゃ寂しいから
お昼は皆んなの顔を見て食べてもらってる
と職員さんに説明を受け嬉しかった〜

急に弱ってしまい
特養に移らなくて良いよと言ってもらい
応接室を1人部屋として使わせてもらえる事になったけど
なんか日に日に元気になっている様だ^ - ^

喋るのも普通だし
食後にもかかわらず
梨をすりおろしたのを母が持ってったら
美味しい美味しいって食べるし
ゆで卵も、
ここじゃ卵は出てこないんだよ
と言って一個ペロッと食べてしまった

食欲があって良かったと言うと
食べなきゃ元気がなくなるって!
良かった〜
a0317923_09475251.jpg

元気になったらまた
特養に移ってって言われるのかなぁ
申込みを断っちゃったっていうし…

今日は親子四代揃って
おばあちゃんはとても嬉しそうだった
愛情満喫〜ってガッツポーズ!
おばあちゃん可愛い❤️

ひ孫である私の娘に
高校何年生?
卒業したらどうするの?
あぁ、大学に行くのね、じゃあ何でも出来るね
おばあちゃんも女学校位に戻りたい〜って

おばあちゃんは熊本の
高瀬高等女学校に行ったそうだ
小学校の後、女学校に4年間行ったけど
受験が難しくて
六年生の時、受験する何人かで
担任の先生の家に泊り込みで勉強したそうだ

喋り過ぎて咳き込んでしまったので
1時間くらいで失礼した

また来るよ〜(^-^)


by tomo-necochin | 2018-08-22 08:40 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
母方の祖母、あやこさんは
熊本から川越に一家で移り住み
その後長男一家と同居してた

母の兄弟は5人で
長女、長男、次女が母、その下に妹が2人

小さい頃はよく
お正月になると母と妹2人の家族が
長男の家に集まった

長女は結婚して広島に居たから
滅多に会えなかった

孫が大きくなり、家も古くなって
大掛かりなリフォームをする時に
仮住まいみたいな感じで
老人施設に短期入所したけど
結局そのままその施設が良いと帰らなかった

その後、今の所沢の施設に移った

若い頃から無駄遣いしないで一生懸命貯金し
今も施設代をおばあちゃんの貯金で支払ってるそうだ
なんて偉いんだろ

そんなあやこさんも御歳102歳
去年に3度目の大腿骨骨折をした

それまでは、移動は車椅子だけど
昔の人だから他の人を煩わせない様に
トイレなどは自分で車椅子に移っていってた

今回ばかりはそれも出来なくなり
一日中寝てる事が多くなった

それでも結構食べれてたんだけど
ここに来て急に弱ってしまった
やはり動かないと筋肉が急に落ちる

面会に行くと
それまで寝てても起きてお喋りしたのに
最近は、喋ってる途中で寝てしまったり
食事も流動食になったり…

特養に移って欲しいから
探してくれと言われてたけど
このままここに居て良いよと言われたそうだ

4人部屋から、空いてた応接間を1人部屋として使って良いと言われ
もう長くないと悟る

今日は九州の長女(広島から今は九州にいる)が、やはりあやこさんに会いたいと出てきた

とんぼ返りでほんの少しの時間だけど
生きてるうちに会いたいよね

私も夏休みに会いたいな
おばあちゃん大好きだよ

by tomo-necochin | 2018-08-04 23:50 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
終戦後、九州に帰国したけど
本当にゼロからのスタート

3人兄弟だった母に妹が2人増え
7人家族を養う為に
まさじさんは炭鉱のエンジニアから
炭鉱を掘る方の仕事にして
特に子供が大きくなると
どんどん炭鉱の奥深くに潜る
危険だけど給料の良い仕事をしたそうだ

あやこさんは
庭に野菜を植え
子供たちの服を縫い
なんでも手作りして家計を支えたらしい

2人とも偉いよ!

でも母が高校生の頃
炭鉱は徐々に衰退して
デモ行進に参加させられた事もあるって

盆踊りで有名な三井三池炭鉱


その後、結局職を失い
九州は仕事が少ないので
家族揃って埼玉へ出てきた
長女は既に結婚してたから
6人でお引越し

まさじさんとあやこさんは
その後、離婚はしないけど
別居になった
色々あったんだろうなぁ


by tomo-necochin | 2018-06-28 08:10 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
まさじさんは炭鉱のエンジニアとして
満州に渡ったそうだ

休みの度、嫁探しに九州へ帰っていた
あやこさんとの結婚は
恋愛結婚なら良かったけど
親が決めた結婚らしい

2人は満州に渡った
当時はお手伝いさんがいる様な生活だったみたいだけど
終戦して一気に生活が変わった

帰国時に1人1つのリュックしか許されないので、
お手伝いさんや知り合いに家財をあげて
屋根もない電車に乗って
何日もかけて港に引き揚げたそうだ
途中度々止められて
1人1つのリュックですら取られてしまったという

当時3人の子供がいて
末っ子だった私の母は2歳
記憶に無いらしい
取られたリュックに写真が入っていたので、母は可哀想だなぁ

大人たちも無事に帰れるか分からないので、小さな子供を中国人に託す人も結構いたそうだ

まさじさん、あやこさん一家は無事揃って帰国できた!
満州でも、もっと奥地に行ってたら厳しかったらしい

九州でゼロからのスタート
大変だったね

by tomo-necochin | 2018-06-23 12:47 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
まずは母方の祖父
まさじさん

母方は九州出身だ
熊本に近い福岡県辺り

祖父は多分7人位の兄弟の末っ子
祖父の父は町の議員さん?だったらしい

小さい頃の話はよく知らない



母方の祖母あやこさんは
学校の近くにある商店が実家

本や教科書、文房具、駄菓子を扱う
祖母も7人位の兄弟の末っ子

商家の大人は忙しいらしく
祖母の一番上のお兄さんのお嫁さんに
母親の様に面倒見てもらい
祖母もその人が大好きで
しょっ中くっついて歩いたそうだ
その人が実家に行く時に
一緒に行く程懐いてたそうだ

祖母は勉強好きで
女学校まで行った

女学校は電車通学で
駅まで30分くらい歩き
トータルで1時間半くらいはかかったと言ってた

放課後に学校で
やりたい人にはピアノを教えてくれる時間があったそうだが
それに参加すると電車に乗れなくなるので泣く泣く諦めて帰ったのが
今でも心残りだといつも言ってる
私の娘には、ピアノを続けなさいといつも言う

おばあちゃんは現在102歳で健在です!




by tomo-necochin | 2018-06-16 20:27 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
お連れ合いのりんじろうさんが
49歳で突然亡くなった後

長男である私の父と母、妹、私と5人家族で暮らした

まぁ、嫁姑問題とかその他諸々
楽しいことばかりではなかったけど
母のお陰で楽しく暮らせた

母が仕事をしてたので
学校から帰るとくにえさんから昔話を聞くのが好きだった

老人大学とか出掛けると
人見知りなくにえさんが書道部に入って
楽しそうにしてるのが嬉しかった

夏に絽の着物を着て
出掛けて行くのを見て憧れた

私が結婚して家を出た後
しばらくの後
アルツハイマーを発症し
更に母は大変だったと思う

最後の方は
家族の事を分からなくなり…

でも母の事を忘れてないのは
やっぱり色々面倒見てくれた人は
覚えてんだよね

私が旦那さんと娘を連れて
お見舞いに行く予定日の夜中に
母からメールが来て
おばあちゃん亡くなった
病院に行ったけど間に合わなかった

大好きなひ孫に
最後の姿を見せたくなかったのかなぁ
私の娘の事はちゃんと覚えてたしね

おばあちゃん
色んな事を教えてくれて
愛してくれて
ありがとう


亡くなったのは
もう8年前の話です
でもいつも見守ってくれてます
おばあちゃん、大好きだよ


by tomo-necochin | 2018-05-31 08:23 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
りんじろうさんとくにえさんは戦後、
埼玉県の川口市、蕨市辺りに移り住み
ワイシャツの仕立てをしていた

田舎から出てきた若い女性を
住み込みで雇っていた事もあったそうだ
手に職をつけるのと同時に
花嫁修業を兼ねて上京した人が多くいた時代らしい

よくくにえさんが言ってた
お前が将来、人の上に立つことがあったら
まず自分が一番働く事!
そうすればみんな必ず付いてきてくれるからね

私が仕事をする様になった時
人の上に立った訳ではないけど
その言葉を思い出して役に立ったよ


りんじろうさんが49歳の時
別れは突然訪れた

土曜日に、腹痛を訴え
でもお医者さんは休診で
月曜日に受診したけど
その日に亡くなった
心不全と言われたそうだ

あまりに突然の事で
くにえさんは涙が出てこなかったそうだ

当時、蕨市の社宅に住んでたので
出なくてはいけなくなった
長男である私の父は20歳を過ぎた頃で
工業高校で建築を学んで、その道に進んでいた

りんじろうさんが投資目的で買っておいた土地に、くにえさんと父で家を建て
次男である弟はその時高校生で
くにえさんと父で大学に行かせたそうだ

その後、りんじろうさんの仕事を父が継いで
くにえさんと2人で、
数年後に両親が結婚して3人で
しばらくシャツ屋さんをしてた
私が幼稚園の頃までね

りんじろうさんは
随分若くして亡くなったけど
会ってみたかったなぁ

いつも見守ってくれてるりんじろうさん、ありがとうございます!




by tomo-necochin | 2018-05-26 20:14 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
太平洋戦争中、
南の島のポナペ島に赴任してたりんじろうさん

終戦間際にアメリカ軍が
多分洋上から大砲を打ち込んで攻められたそうだ
殆ど武器が残ってなかった事もあるだろうけど、
上官からの指示で身を潜めて隠れたそうだ
無駄死にするなと言う上官だったから
りんじろうさんはその後生還した
隣の島は玉砕したそうだ
上の人の判断で随分と人生変わるんだなぁ

戦後しばらくして
酷い栄養失調だけどりんじろうさんは帰ってきた
持ち帰ったヤシの実が仏壇の横にあったなぁ


戦後、りんじろうさんとくにえさんの間にたづこさんという女の子が生まれた
でも、赤ちゃんのうちに亡くなったそうだ
りんじろうさんは女の子が欲しかったらしく、でもその後次男が生まれ
結局女の子は生まれなかった

りんじろうさんの念が大きいのか
2人の息子たちには
女の子が2人ずつ、女だらけになった!

戦後もワイシャツの仕立てを続けたけど
みんな貧しい時代だから
くにえさんの兄弟とかに
ちょっとの間、お金を貸してもらえないかと言われた時に
りんじろうさんもお金がないと
仕事のミシンの大事な部品を質に入れて工面してくれたらしい

面倒見が良くて、物知りのりんじろうさんはみんなに慕われてたんだなぁ

そういえば、私が高校生くらいまで
りんじろうさんの戦友が
長野のリンゴ農家なのだが
毎年、リンゴの大箱を送ってくれてた
りんじろうさんはとっくに亡くなってるのに、何十年も
戦争中にりんじろうさんに世話になったからと送ってくれる
どんな思い出があるのかは知らないけど
おじいちゃん、すごいね

また続きは後ほど…

by tomo-necochin | 2018-05-25 08:21 | ファミリーヒストリー | Comments(0)
太平洋戦争の頃、多分2人は結婚したんだろう

私の父が長男として生まれた(昭和18年)
多分その後、りんじろうさんは
志願して出征した
海軍に所属し
潜水艦で南太平洋のポナペ島へ…
(現在はポンペイ島というらしい)
陸に上がった時に、体罰で顔が腫れていてはみっともないので 
お尻などの隠れる場所に
何かあると連帯責任と言って
鞭打ちなどの罰を受けたそうだ
痛かったろうな…


戦地では戦うというよりも
ポナペ島に本陣を作る係で
居住する建物や、食料確保の畑作りなどが主な任務だったらしい

現地の人に農耕を教えたらしく
敗戦前後には現地の人に随分と助けられたそうだ
とにかく作物が早く育つので
りんじろうさんは戦後
ポナペ島に移住したいと言ってたそうだ

くにえさんは実家に疎開してたそうだ
実家は割と裕福で農家だったので
食べ物にすごく困るところまではいかなかったらしい
私の父は、くにえさんの弟(年が離れてるので、兄弟の様)に面倒見てもらってたそうだ


続きはまた…



by tomo-necochin | 2018-05-22 08:23 | ファミリーヒストリー | Comments(0)

長毛キジトラ猫のアリアと私「ねこちん」の好きな事集め


by tomo-necochin